今週から四話の掲載を始めます。
夏の日の少年1
「もしもし、はい、旅館さくらです。ああ、久しぶり」
「お? どこからの情報だい? ああ、居るよ。活きの良い若いのが。それで居て良い女なんだこれが。え? ああ、もちろん抱いたさ」
「ああ、そろそろ新しい客をやるつもりだったから大丈夫だよ。あいつにも稼がせてやらなきゃならないからなぁ」
「え? ああ、もちろん料金を貰えるのなら構わんが……、あんたも良い趣味してるな」
「ん? ――はっはっは! そりゃいい! それならうちの葉奈子は良いだろうさ。あいよ、じゃあ予約は承ったよ!」
▲ ▲ ▲
私、木山葉奈子はただいま女の子休暇中です。
と言っても、お客さんが少ないので、一人のお客さんをキャンセルするだけで乗り切ることが出来ます。ごめんね、ろくさん。
旅館さくらに来て二ヶ月経った。ひと月目は初回のあれの料金が高かったため、月の後半だったにもかかわらず月給換算で40万ほど、ふた月目は毎週固定客安定で20万ほど。働いている量を考えると貰い過ぎているくらい貰っている。
謎の制度のため天引きも無いし、ただで泊めてもらっているため、ほとんどが貯金に回っており順調にお金が貯まっている。しかも現状はお客さんが二人だけであり、増やせばもっと貯まるだろう。
楽である。それでいてお金もある。
それなのに、今はちょっと憂鬱だった。
その原因は、この前旦那さんとエッチしたことにある。
あれから、旦那さんも女将さんも普通に接してくるので、人間関係自体は問題なかった。ただそれでも気まずいことに変わりない。
そして、旦那さんとエッチしたときに気持ち良くなり過ぎた自分を恐ろしいという気持ちが芽生えていた。
あんなに感じちゃうなんて……。ただ快楽を求めてしまった感じが、私はショックで仕方なかった。
このままじゃ私はどうなっちゃうんだろう。ずっとこのお仕事をして、その中で結婚相手を見つけるのだろうか。
普通の恋愛とか一切せずに。
「はぁ……」
「何だ、ため息なんてついて。生理きついのか? 腹さすってやろうか?」
元凶の登場である。階段に座り込んでいた私は、そのまま旦那さんをキッと睨みつける。
「近寄らないでください。デリカシー欠損症が移ります」
「デリカシー? ちゃんとゴムも使って、優しくしてやったろう」
「……」
ああ、もう何を言ってもデリカシーの無い言葉で返される。これはもう何も言わないほうが良いらしい。
……まあ、確かにちゃんとゴムを使ってくれたけど。
「掃除行ってきまーす」
私は立ち上がり、早足で離れていった。
冷たい態度。しかし、私はそうする中でもドキドキしていた。
これもこの前の代償である。あの夜が強く残っている。
「こんな調子じゃなぁ……」
別に恋しているとは思わない。旦那さんがそれなりにカッコいいのは確かだけど、妻帯者に恋するほど恋を求めていない。
ただ思い出してしまうだけだ。気持ち良かったことと、それを表に出してしまったこと。
私は旦那さんに弱みを握られたような気分になっていた。旦那さんがそれを弱みとして利用することは無いにしても、一緒に居ることに危険を感じてしまうのだ。
玄関を出ると、瞬時に外の陽気に体が熱せられる。季節は夏真っ盛りになっていた。5月の終わりにここに来て、もう7月の終盤。学生時代だったら夏休みだと大喜びしただろう。
社会人(一応)になると、夏なんて暑いだけだなぁ。まあ、ここは山の上にあるから割と涼しいほうだけれど。
友達と海に水着を持って遊びに行く、とかそんなことももう無いんだろうな。高校時代、私はそういうのを避けたほうだったけど、出来なくなってみるとしてれば良かったと思ってしまう。
完全なインドア派だった私。夏の薄着より冬の厚着を愛していた。だから色気が無くて、男女交際と縁が無かったのかも知れないし、もうちょっと頑張ってれば良かったかな。
「はぁ……」
過ぎ去りし日まで悔やんでも仕方ないか。生理の憂鬱が派生してしまっているようだ。
私はほうきを手に、玄関でボーっとしていた。朝も掃いたから、特に汚れていない。昼間の掃除は、私にとっての暇つぶしでしかなかった。
前を通り過ぎて行く人は少ない。大体が男の人で、こちらをチラチラと見ることが多い。私みたいなのが珍しいのだろう。もう慣れた。
見慣れないものに目が行くのは仕方がないことだ。私だって少女コミックのコーナーにおじさんが居れば見るし、公園の滑り台でおじさんが遊んでいれば見る。例えがおじさんばかりだけど。
そう、例えばこのおじさんの楽園である寺山新地に少年が居れば見るわけだ。そりゃもうガン見する。というかしている。
「……まさかプレイ後だったりして」
少年はお父さんと思われる人に連れられ、旅館を後にした。ひょっとしたらそこは普通の旅館だったかな、なんて思ったけど、当然そんなことは無い。風俗営業許可があるところだった。
ふと、私は少年と目があう。そうか、珍しい者同士だからお互い見ちゃうよね。手でも振るか、笑顔でも振りまくか。そう考えたが実行する間もなく、少年は顔を赤くして目を逸らしてしまう。
可愛いものだ。純情そうな少年をこんなところに連れてくるなんてどんな親だ。と思ってお父さんらしき人のほうを見ると、またも目が合ってしまった。きつい目をしてたかもしれないから、私は瞬時に愛想笑いに切り替えた。
すると、お父さんのほうからも笑顔が返ってくる。優しそうな人じゃないか。
私は軽く頭を下げて、さくらに帰る。
親子、か。たまにはお母さんに連絡しようかな。そんなことを思った夏の日だった。
夏の日の少年2
「もしもし――葉奈子? 今どこで何してるの?」
「えっと……まあ何とかやってるよ」
私は久しぶりにお母さんに電話してみた。懐かしい声が聞こえる。
「お母さんは今何してるの?」
「彼氏の家よ。主婦みたいなことやってるわ」
「へえ……」
お母さんは一人で私を育ててくれた。お父さんは小さい頃に亡くなって、そこからはお母さんとの二人暮らしだった。
私は高校を卒業してから、フリーターとしてバイト生活をしていた。そんな時、お母さんは仕事を辞めてしまった。何やら彼氏の理由らしい。
そして、お母さんは彼氏と暮らすと言い出した。当然、私のような存在はお邪魔者。「もう成人したんだから、一人でも大丈夫でしょ」という感じに私は見捨てられてしまった。
当時勤めていたバイト先の閉店が重なり、私は家無しの無職になった。そこで思いついたのが例のアニメのように旅館で住み込みバイトなわけで……今に至っているのである。
「あんたはやっていけてるの?」
「うん、住み込みで働けるところを見つけたから」
「へぇ、結構やるじゃない。私みたいになったらどうしようかと思ってたわ」
お母さんはそう言って笑う。
「私みたいって、彼氏の家に転がり込むとかそういうこと?」
「あんた彼氏居ないでしょ? 違う違う。……まああんたも成人したことだし、ちゃんと言っておこうかしら」
お母さんは咳払いする。普段はちゃらんぽらんなお母さんだから、ちょっと真面目な声になるとびっくりする。
「風俗嬢」
「へ?」
ドキッとする。何でばれてるの……。でも、お母さんは別に私のことを知っているわけではなかった。
「私の仕事。私はあんたを食わせるために夜働いていたでしょ? ホステスって言ってたけど、正しくは風俗嬢なのよ」
「お母さん、エッチなことしてお金稼いでたの!?」
「こらっ! 間違っちゃいないけど、そんなにはっきり言わないの。私だって好き好んでやってたわけじゃないんだから」
つまり、お母さんは今の私と同じ仕事をしていたわけだ。遺伝、だったりするのか。
「お金を欲するとそういうのに走りがちだけど、あんたはそうならないようにね」
遅い。もう走っちゃってます。
「彼氏さんに仕事を辞めるように言われたのも、やっぱりそれが理由?」
「そう。でもさ、あの人だって客として来たのよ。それで、もう他の人に抱かれるのが嫌だから、なんて言われた日にはさ、責任もって養ってくださいってなるわよね」
もう笑うしかない。全然笑える内容じゃないけど、お母さんが笑ってるし、私も引きつった笑いで返してしまうのだ。
「もう、普通の仕事するのも難しいしね。給料が安くても、まともな仕事に就いてたほうが結果的には良くなるってことを忘れないようにね。理想は金持ちの良い男を見つけて、結婚することだけど」
お金持ちは見つけてるんだな、これが。結婚は無さそうだけど。
「そろそろ切るわ。彼氏出来たらまた連絡しなさいよ」
「う、うん」
衝撃的なカミングアウトを聞き、私は呆然としていた。
これでは、私がサラブレッドということではないか。蛙の子は蛙。しっかりとお母さんの血が受け継がれているわけである。
「あー……」
生理とダブルで訪れる憂鬱。運命というものには逆らえないものなのか。私は部屋の床に仰向けに寝転がった。
私はこのままで良いのだろうか。楽にお金が稼げるという状況に慣れることは恐ろしいものではないだろうか。
エッチすることは嫌いではない。むしろ気持ち良いと思っている。そんな自分が不安だけど、これ自体が悪いものだとは思っていない。
ただこれからってことを考えると……ってもう人生観の域に達してしまう。そんなところまで考える自信が無い。
結局、私が最も不安なことはなんだろうか。
ここに来ての二ヶ月を振り返る。優しいおじさんたち(+セクハラ旦那)に抱かれ、エッチな女になってしまった私。
普通の女性はエッチなことをしてこんな風にはならないだろう。こんな体であんな人たちに抱かれたら、私みたいなことになるのは仕方ないことだった。多分。
普通にエッチするってどんなことだろう。
いや、まず普通に恋愛するってどんなことなんだ? ひょっとしてそこだろうか。私のこの不安。
普通の恋愛が出来ていない。最後にこういう仕事にたどり着くならまだしも、最初がこんな経験だった。
そして、このままずるずるといってしまうと、普通の恋愛をしないまま、ただお金目当てで結婚して……ってそんな未来しか見えない。
そもそも、若い男の人を知らないって時点でもうダメダメじゃないか。
このままでは完全に娼婦へと育て上げられ、恋愛というものを人生から抹消されてしまう。
そうだ! 恋をしよう!
「……って誰と?」
恋愛とは大体長く同じ空間に居る人と行うものである。それが学校だったり、職場だったり。
私の職場といえばこの旅館。……恋の相手なんていねぇ。
「はぁ……」
ため息が自然に漏れる。
せめて……せめて若いお客さんが来てくれないものだろうか。いや、常連さんなら大体お金を持っているおじさんになってしまうから無理だ。
若いお客さんが来たら、初見さんでも一度仕事を受けるのも手かもしれない。
そうしないと、私はおじさんたちに快楽のとりこにされてしまい、普通の恋愛が出来ない体になってしまう。
「若いお客さんか……」
私はテレビに出てくる俳優さんとの行為を想像する。すると、自然に手がお股のほうへと移動する。
……たまには良いか。そう思って、私は妄想の中で色んな人とエッチし、気持ち良くなったのだった。
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